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  • 執筆者の写真’96企画 合同会社

不登校中学生だった私⑥「高校生編」【最終回】

皆さまこんにちは。Liberスタッフ 田村です。

このブログでは、実際に中学時代、不登校を経験した私が、当時感じていたことやしていたこと、どのようにして学校に復帰していったかなどを数回に渡って投稿しています。

今回はその第6回、高校生のエピソードです。

幼少期〜中学3年生までのお話をまだ読まれていない方は、ぜひ、第1回からお読みください!

 

〜高校生〜

 

高校に入った私は、初めとても不安な気持ちでした。

「今までと違って義務教育ではないから、自動的に進級はできない。」

「休まず登校して、しっかり勉強してついていかないといけない。」

「そんなこと私にできるだろうか。中学の範囲の勉強も知らない部分が多いのに、高校の勉強について行ける気がしない…」と。

 

そんな心配を胸に秘めつつ、私は入学後すぐに仲良くなった友人を誘って、中学時代から入りたいと思っていた、演劇部に見学に行きました。

しかし、当時演劇部に部員はおらず、1年生が数人見学に訪れていただけでした。もともと先輩という存在があまり得意でなかった私は、のびのびと過ごせるその空間を気に入りましたが、ただでさえ学校にすら毎日通えるか分からない私が、部活なんてしてもいいのだろうか、毎日早く帰ってできるだけ沢山寝て、体力温存しないといけないのではないだろうか…と、少し入部を躊躇っていました。

しかし、数回見学に行くと、「もう入部届出しておいたよ」と顧問に言われ、気がつけばあれよあれよと言う間に演劇部員になっていました。

 

また、私が進学した学校は、普通科ではありながらも副教科的な科目に力を入れている学校で、イラスト、音楽、スポーツ、調理など、さまざまな専門のコースを選択して勉強することになっていました。私は用意されているコースの中でそんなに興味のある分野はなかったのですが、音楽コースを選択しました。

しかし、何気なく選択した音楽コースは、思っていたよりかなりハードな授業内容だったのです。先生は厳しく、妥協を許さないタイプ。毎日複数の楽器の練習と音楽理論の勉強、放課後にもレッスンがあり、ついていくのに必死という日々がスタートしました。

 

勉強に、音楽に、演劇…、中学まで半分も登校していなかった私に、そんなに沢山のことがこなせるとは、以前から私を知っている人なら誰も思わなかったでしょう。

しかし、高校に入ってからの私は毎日休まず学校に通い、今までの時間を取り戻すかのように全てに対して全力で、必死に取り組みました。

ハードな日々をこなす、その原動力となっていたのは演劇です。

演劇部に入部し、数回通っただけで、私は演劇が大好きになっていました。「もともと私はこれをやりたかったんだ。やっとやれる、やっと出会えた。」そんな、運命の相手に出会ったような感覚でした。

しかし、演劇はあくまで部活動。勉強をして、音楽の練習も完璧にこなしてからでないとできません。だからこそ、私は全てを頑張れたのだと思います。

やりたいことのためなら、どんなに辛くても戦えると、私は初めて知りました。

 

こうして不登校から完全に脱却した私を見て、母は心底嬉しそうでした。

「学校に毎日通えている」ということよりも、「娘が毎日イキイキ、キラキラしている」という事実を何よりも喜んでくれているようでした。

そして父も、元気に活動する私を見て安心してくれていたのだと思います。中学時代までと比べて父娘間のコミュニケーションも増え、演劇部で必要な大道具の貸出をしてくれたり、音楽や演劇の発表を見に来てくれたりと、何かと協力してくれたことに感謝しています。

 

今までの私を知っている周囲の親しい人たちは、高校に入ってからの私を見るとだれもが驚き、喜んでくれていましたが、そんな私の変化に誰より驚いていたのは私自身だと思います。

全ての物事に全力で取り組む中で、

・やりたいことのためなら頑張れる

・自分なんかできそこないと思っていたけれど、本当はやろうと思えばなんでもできる

と、私に自信をつけてくれた、人生の岐路となった特別な3年間でした。

あの高校3年間に勝る経験は、今後の人生を通してもなかなか体験できないことでしょう。

 

 

〜当時を振り返って〜

 

幼稚園から中学までは欠席が日常だったのにも関わらず、高校からは平日はもちろん、土日まで部活やコース活動で登校する日があるほど、学校での活動に全力で取り組むようになりました。

こんなふうにイキイキと活動できるようになったのには、いくつか要因があると考えています。

 

【私が不登校から脱却できた要因と考えている理由】

①    起立性調節障害、自律神経失調症がよくなった

→一般的に、思春期を過ぎるとよくなることが多いと言われています。私も高校からはめまいや吐き気に襲われることが少なくなりました。現在でも完治はしていませんが、問題なく社会生活が営めるようになっています。

②    女子校に進学した

→女子だけで、のびのびと過ごせる空間が私には合っていました。

③    学校に行かなければ卒業できないという焦り

→これまでと違い義務教育ではなくなったので、欠席が多いと退学になってしまう。それだけはどうしても避けたいという焦りがあったのは間違いありません。

④    やりたいことをできる環境

→本当に自分が好きなこと、やりたいことに対する原動力が他のことも頑張らせてくれました。

 

上記4つの中でも、とくにその後の私の人生にも良い影響を及ぼしたと感じているのが、④の「やりたいことをできる環境」に出会えたことです。

私にとってのやりたいことは演劇でしたが、当然人それぞれ、好みや得意不得意は違います。

自分のやりたいことが何なのかさえ、まだわからなかったり、本当は自分のやりたいことを自分で知っているのに、自信のなさから誤魔化してしまっている子もいるかもしれません。

私はそんな子どもたちに少しでも、「たのしい!」「もっとやりたい!」と思えることを見つけてほしいと願っています。

 

幼稚園の頃から休みがちで、中学では不登校だった私が、やりたいことのためなら学校へ行けたのです。

そして、やりたいことに思いっきり打ち込み、他のことにも全力投球している自分に対して自分自身が、「これまでの私と別人みたい」と感じていました。

その高校生活が、「やろうと思えばなんでもできる」ということを私に教えてくれました。

 

だからこそ、できるだけたくさんの子どもたちに、そんな風に打ち込める何かに出会ってほしい。

その手助けを少しでもしたい。

世界は広く、人生は短く、自分自身の無限の可能性を前に内に閉じこもっているのはあまりにもったいない。

それを、今部屋から出られなかったり、やりたいことが分からずにいる多くの子どもたちに、いつか感じてほしいのです。

今すぐにはむりでも、いつか。

 

ここで、私たちと一緒に「やってみたい」を見つけませんか?

きっとそれが、現状を打破するきっかっけになると私は信じています。

 

これで、「不登校中学生だった私」の連載は一旦終了です。

長い文章を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

今、これを読んでくれているお母さん、お父さん、そして子どもたちにお会いできる日を、心より楽しみにしています。

 

Liberスタッフ 田村

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