こんにちは。Liberスタッフの田村です。
私は、中学時代に不登校を経験しました。
そんな私の経験や不登校に至るまでの過程、当時の想い、やっていたことなどを綴り、数回に分けてブログに投稿してみようと思います。
私の経験や考えが、不登校の子どもたち全員に当てはまるわけではありませんが、
少しでも、今学校に行けなくて苦しんでいる子どもたちや、その子どもたちをいつも近くでサポートしている保護者の皆さまに寄り添うことができれば幸いです。
ここに綴ることはぜひ、一個人の体験談としてご拝読ください。
〜幼稚園時代〜
まず、幼少期に遡ります。
私は幼稚園に行くことが本当に嫌でした。
仲の良い友達や好きな先生、楽しい遊びはあったにも関わらず、私にとって幼稚園は、最初から最後まで「行かなくていいならできるだけ行きたくない」場所でした。
また、幼い頃から病気がちで、幼少期は本当によく熱を出していました。
そのため、幼稚園は休みがちで、おそらく1年の3分の2程度しか通えていなかったと思います。
また、親からの遺伝でめまいが起こりやすい体質でもあり、物心ついた頃からいつもめまいや吐き気と闘っていました。
〜小学校低学年〜
小学校になってもその体質は変わらず、学校は休みがちに。
大人になってから、1年間の欠席日数が30日以上の生徒を「不登校」と呼ぶことを知りましたが、おそらく私はもう小学校1年生から欠席日数は30日を超えていたと思います。
しかし、あくまでも休むのは体調が悪い時だけ。
「行きたくない」という理由で休ませてもらったことは一度もありません。
そんな幼少期から小学校低学年ごろの私は、体は弱かったですが、心は健康だと思っていました。
感情表現や表情が豊かで、よく話し、学校を休みがちにも関わらず、友人にも恵まれました。
また、まだこの頃は学校の勉強も難しくはないので、休んでいても大して苦労せず、理解することができました。
しかし、一人っ子で、歳の近い親戚などもいなかったため、同年代の子ども達と接することに慣れておらず、乱暴な子や、少し強い言葉を発する子がいれば、その都度傷つき、すぐに「もう帰りたい」となっていたのも事実です。
そんな私の当時の逃げ場になっていたのが、保健室。
保健室登校と言うほどではありませんでしたが、学校でもすぐに吐き気やめまいが起きるので、ほとんど毎日、1〜2時間は保健室で過ごしました。
今思えば、長い時間学校で拘束されることや、周囲の雑然とした雰囲気、先生の怒る声などを敏感に感じ過ぎた結果引き起こされる、心因性の症状だったのかもしれません。
小児科でカウンセリングを勧められ、人生で初めて心療内科にも行きました。
しかし、とくに精神疾患を疑われることはなく、通院とはなりませんでした。
〜当時を振り返って〜
今振り返ってみると、この時点で既に、不登校になる要素は十分持ち合わせていたと感じます。
①体が弱く、病気がち
②そもそも幼稚園や小学校が好きではなかった
③同世代の子どもたちとの接し方を心得ていない
④感情豊かな反面、負の感情にも敏感で傷つきやすい
⑤「学校に行きたくない」とは言えない状況(そう言うと行かされるから)
これに加えて、近所に住む祖母が大変心配性で、少しでも私の体調が悪ければ、「学校を休ませて病院に連れて行きなさい」というタイプだったため、休みやすい環境であったとも言えます。
そうして少しの体調不良の度に休むことで、「学校は毎日行って当たり前の場所」という感覚がつかないままになっていました。
それなのに、「行きたくない」と言うと行かされるので、その葛藤や納得できない思いからくるストレスが、体調不良を引き起こしていたのかなと、推察しています。
また、私の家は両親と私の3人家族で、父は普段から仕事が多忙を極め、平日は帰宅が午前様になることもしばしば。
そのため、専業主婦であった母がいつも私の面倒を見ていました。
今思えば、常に体調の悪い娘と一人で向き合い続けていた母の精神的負荷は、きっと大変大きいものだっただろうと思います。
ここまでが私の幼少期から小学校低学年時代です。
次回は、より苦しい状況になってきた、小学校中学年以降のお話を書きたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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