皆さまこんにちは。Liberスタッフ 田村です。
このブログでは、実際に中学時代、不登校を経験した私が、当時感じていたことやしていたこと、どのようにして学校に復帰していったかなどを数回に渡って投稿しています。
今回はその第5回、中学校3年生のエピソードです。
幼少期〜中学2年生までのお話をまだ読まれていない方は、ぜひ、第1回からお読みください!
〜中学校3年生〜
中学校生活も最終学年になり、周囲は進路選択でピリピリした空気が漂っていました。
誰がどの高校を受けるのか、様子を伺い合うような状況で、強制的に競争させられているような気がしてとても嫌な気持ちで毎日を過ごしました。
私にどこの高校を受けるのか聞いてくる子もいましたが、私は聞かれるたびに意地悪を言われているように感じました。
中2〜現在に至るまでほとんど内申点が無い状況かつ、実際の学力も遅れている私にどの高校に行くか聞いてくるなんて、「どうせお前には行ける高校なんてないんだろう」とでも言いたいんだ。と、やや捻くれた受け取り方をしてしまっていたのです。
実際私は、3年生になっても、学校は休み休みしか行けず、1学期の定期テストは受けられなかったため、本当に行ける見込みのある学校は多くありませんでした。
そのため、今の学力と内申点で合格でき、さらに体力面を考えて家から近く、欠席が多くなっても進級できる措置のある学校…と、かなり消去法で進学先を探していました。
そして私自身、行きたい学校もなかったし、高校に入ってもこのまま休み休みしか登校できないだろうと考えていたので、通信制高校が良いと希望していました。
しかし進路相談の時、担任の先生は私の自宅から程近くにある全日制の私立女子校を勧めたのです。
「通信制高校は最後の手段で良い。あなたには普通の、楽しい高校生活を送ってほしい。」そんなことを言われたように記憶しています。通信制では楽しい高校生活が送れないという意味ではなく、先生は私に初めから学校に行くことを諦めないでほしかったのだと思います。
私の進路について両親の反応はというと、母親は全日制の女子校への進学に賛成してくれました。もともと、通信制高校よりは全日制に行ってほしいと思ってくれていたようです。
そして父の反応は…正直、全く覚えていません。進路の相談や決定の話を父にしたかどうかも定かではありません。でも、私立高校に進学するならそれなりに学費もかかるし、父に無断で決められることではないので、きっと母が説明して父も納得していたのでしょう。
私は、全日制高校に休まず通える自信はありませんでしたが、実は高校に入って1つだけやりたいことがありました。
それは、演劇部に入ること。
本当は中学でも入りたかったのですが、演劇部自体がなかったので別の部活に入っていました。中学での部活動は楽しいことの方が多かったですが、イマイチ打ち込めず、高校では演劇部に入りたいとずっと願っていました。
そのため、担任の先生が勧めてくれた女子校に演劇部があるならその学校に決めても良いかな、と考え、合同説明会へ。そこで演劇部があると知り、それならとにかく一度通ってみようと決めました。学校へ行けなくなって単位が足りなくなれば、それはそれで仕方ない。その時考えるしかないと、半ば腹を括ったような想いでした。
一応私なりに受験勉強も少しはやり、専願でその女子校を受験。無事合格してからは、全ての競争から解放されたような気持ちでした。
●●ちゃんは偏差値の高い高校を受ける、●●くんはスポーツ推薦が使える、●●さんは他府県の高校に行くらしいよ、などと、周囲の状況を気にして噂話が飛び交う日々に、やっと「私はもう関係ない」と吹っ切れたような気がしました。
しかし、やはり自分のプライドが邪魔して、「行きたい学校ではなく行ける学校」に進むことを恥じ、できるだけ他人に知られたくないとは思っていました。
中学3年生の3学期、私は今までよりなぜか心身ともに元気で、休まず学校に通いました。
たぶんほとんど休まず卒業式まで登校し、中学校には何の未練もなかったので、卒業式でも涙ひとつ流すことなく、笑顔でたくさんの友達と写真を取り、足取り軽く校門を出たことを覚えています。
その日の写真を見返すと、一緒に写っている友人たちはみんな涙目なのに、私だけ真っ白の顔に満面の笑みを浮かべています。
こうして、私は長く辛い子ども時代からやっと解放されました。
〜当時を振り返って〜
今、こうしてブログを書いていると、なぜ私には中学時代、友達がいたのだろうと不思議な気持ちになってきました。だって、学校にちゃんと行っていなかったのに、卒業式で写真を撮ってくれる友人が何人もいたのです。
思えば、中2で完全に不登校になった時も、家に電話をかけてきてくれたりメールをくれた友人もいたし、久しぶりに登校した私に駆け寄ってきてくれた友人もいました。きっと私の周りには、私が思っていた以上に心優しい子たちがたくさんいたのだと今になって思います。それなのに、どこの高校に行くか聞かれただけで意地悪されていると感じたり、本当にちょっとしたことで傷ついて落ち込んだりと、当時の私はちょっと自意識過剰すぎたのかもしれません。
しかし、正直に言うと、中学以前に知り合った友人で、今も連絡を取り合っている人は一人もいません。
それはなぜかと考えると、やはり中学までの私は、周囲に気を使い、嫌われないように嫌われないように自分を繕って、表面上の付き合いしかしていなかったからだと思います。だから、嫌われなかったけど本当に心を許しあえる気の置けない友達にはなれなかった。本当に好きで一緒にいて楽しいと思う子とも、そこまで深い関係性を築けなかったのかなと思います。
次回からは完全に不登校から脱却した高校時代について書きたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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