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  • 執筆者の写真’96企画 合同会社

不登校中学生だった私④「中学校2年生編」

皆さまこんにちは。Liberスタッフ 田村です。

このブログでは、実際に中学時代、不登校を経験した私が、当時感じていたことやしていたこと、どのようにして学校に復帰していったかなどを数回に渡って投稿しています。

今回はその第4回、中学校2年生のエピソードです。

幼少期〜中学1年生までのお話をまだ読まれていない方は、ぜひ、第1回からお読みください!


〜中学校2年生〜


中学2年生のクラスは、とても良い雰囲気でした。私は担任の先生も、クラスメイトも好きで、1年生の頃よりも楽しく学校に通っていました。相変わらず休み休みではありますが、2年生の1学期はそれまでより欠席日数も減っていたように思います。

その年の夏は、ひどい猛暑でした。夏休みを明けてもまだまだ暑い日が続き、体はバテ気味。しかし、夏休みも部活動をこなし、2学期は体育大会の練習に勤しみました。

そして、体育大会も終わり、少し秋の気配が感じられるようになった10月のある日、いつものように朝目覚めるとめまいが襲いました。その時は「いつものめまいだ」と、思いました。「最近すごく暑い中頑張りすぎたからだな」「1日か、長くても2日程度休めば良くなるだろう」…そんないつものパターンのつもりで、その日、学校を休みました。

しかし、2日経っても3日経ってもめまいは良くなりません。そしてとうとう、一週間以上が経過してしまいました。

そして、2週間ほどしてやっとめまいが治った頃には、私は登校するのが怖くなってしまいまいました。

学校の友達も、先生も、誰もいじわるを言ってきたり、長い間休んだことを責めたりしないと分かっているのに。また学校へ行けば、嫌な顔せず受け入れてくれるクラスメイトがいるのに。それでもなぜか、「こんなに休んでしまったらもう行けない」と感じました。

正直なところ、今はもう、なぜその時そう感じたのかはよく思い出せません。でも、なぜか学校の校門をくぐる勇気が、その時の私にはありませんでした。

一番不安だったのは、授業についていけなくなること。小学校の頃は学校に行かなくても成績は良い方でしたが、さすがに中学生になると、休めば休んだ分だけ遅れを感じるようになっていました。「昔は成績が良かった」というある種のプライドが、勉強に遅れを取ることに対する恐怖心を感じさせたのだと思います。いつも、友人に休んだ日の授業のノートを借りて写させてもらったり、個別指導の塾でなんとか遅れを取り戻そうと頑張っていましたが、2週間も休んでしまったらもう自力ではどうにもできないという恐怖心から「もう行けない」と思ったのかもしれません。


「学校に行きたくない」私がそう言うと、母はすぐに心療内科の予約を取り、私を連れて行きました。小学校の頃も一度かかったことのあるクリニックです。そのクリニックの先生は、ほとんど自分からは話さず、私に無理に話させようともせず、クリニックに行っても対して会話はなかったと記憶しています。

クリニックの先生に聞かれて覚えている質問と言えば、「学校に行きたい気持ちはある?」ということくらい。私は、本当は行きたいとは思っていないけど、全く行きたくない訳でもないという気持ちを何と表現して良いかわからず、「行きたいけど行けない」と答えました。

しかし、時々母と私が別々に診察室に入った時、母は先生と随分話し込んでいたようでした。

実は、私も当時クリニックで話したい想いがあったのですが、何をどう話して良いのか、何について話す時間なのかがよく分からず、聞かれた質問にだけ、できるだけ短く答えるようにしていたのです。

大学で臨床心理を学んだ今となっては、もっとたくさん話せば良かった…と思います。しかしそれと同時に、話せないなら話せないなりに、先生は私の状態を理解できていたのだろうとも思います。

私はクリニックで、鬱や適応障害という診断を受けたわけではありませんが、「心の病気」「落ち込んでいる状態」というような曖昧なことを言われました。そして、毎日の気分の波を表にするという宿題を出され、毎週クリニックに行く時、一週間の気分表を持って行きました。気分表を付けることで何が変わるのかはわかりませんでしたが、真面目に毎日記録を続けました。


そして、学校に行かなくなって間も無く、担任の先生が家庭訪問をしてくれるようになりました。それも、毎日。私は日によって、玄関で先生と話したり、母に対応を任せて先生とは会わなかったりしました。先生は、保護者用のプリントや授業の課題を持って来てくれたり、学校の様子を教えてくれて、決して「早く学校に来て」などとは言いませんでした。母には、「自分が毎日来るのがプレッシャーになっていないか」と時々確認してくれたりもしていたようです。でも私は、先生が来てくれるのをどちらかと言えば嬉しく感じていました。


学校も塾も行かず、週1回のクリニックと母との買い物にだけ出かける毎日を3ヶ月ほど過ごし、冬休みになりました。

年末だったと記憶しています。近くに住んでいた母方の祖母が、ある朝突然認知症を発症しました。前日までうちに来て普通に話していたのに、一緒にお饅頭を食べていたのに。

その日の朝、突然祖母は全てを忘れました。今が朝か夜か、ここはどこか、一緒に暮らしている人は誰か、この女は自分の娘なのか、孫なのか…。

そこからの日々は、今までとは一転し、目まぐるしく忙しい日々になりました。母は毎日祖父母の家へ通いながら、祖母を病院へ連れて行き、私も時には付き添って祖父母の家で過ごしたこともありました。

私も母も、祖母の変わりように大きなショックを受けていました。しかし、その中で私は「これ以上母に精神的な負担をかけるわけにはいかない」と強く思い、3学期から学校へ行くと、決心しました。


そして1月、私はその決心を行動に移し、新学期、3ヶ月ぶりに学校へ行きました。その日の朝のことは、よく覚えています。別に特別な決心をして一歩踏み出したとか、玄関で10分も20分もぐずぐずしてようやく腰を上げたとか、そういうことは一切なく、まるで毎日当たり前に学校に行っているかのように、「あ、もう時間がない!行って来ます!」と、自転車にまたがってすいすいとペダルを漕ぎました。

行くと決めたら行く。行きたくないときは行かない。結局私は、そういう人間だったんだな、と後になって思いました。


もちろん、その後毎日休まず行けたかと言うと、そう簡単ではありません。しかし、「全く行かない」ということはやめました。休み休みでも、少しずつ日々を取り戻して行きました。

そして、心配していた授業の遅れですが、やはりもちろん遅れてはいます。もともと苦手だった数学は特に、何の話をしているのかも分かりません。しかし、周囲には学校に毎日来ていてもそんなに授業を分かっていないクラスメイトもいて、なんとなくその状況を俯瞰で見ることができるようになった私は、「なんだ、こんなもんか」と、肩の荷が降りたような気持ちになりました。「分からなくても仕方ないじゃん、だって休んでたんだもん」と、心のどこかで開き直るまでになっていました。

それが良いか悪いかはさておき、私はこの開き直り精神を手に入れたために、再び学校に戻ることができたのです。



〜当時を振り返って〜


不登校になった当時、私はどこか、ほっとしていたような気がします。

毎日毎日「行きたくない、今日の体調はどうかな?」と自分の体調を確認して、体調が良くても悪くても嫌な気分になる日々から抜け出して、堂々と家にいることを許される環境に、束の間の人生の休暇期間をもらったような感覚すらありました。

しかしもちろんその反面、「いつか行かなければならない」「いつか行けるようになるのだろうか?」「高校には進学できるのか」「社会に出ても毎日出勤できるようになんてなるわけない、そしたら会社勤めなんて絶対できない」そんな不安が毎日毎日、頭の中で渦巻いていました。

行けるようになったきっかけは本文で書いた通りですが、祖母の認知症という特殊なきっかけがなくとも、私はそのうち行っただろうという気もします。しかし、当時の私には、一旦何もかも忘れて休む時間というのがどうしても必要だったのです。


私が不登校中の両親はというと、母はそれまでよりも穏やかになりました。後から当時のことを母に聞くと、クリニックの先生から、「この子はいつか自分で必ずまた学校に行くようになる。今はまだ大人が無理に背中を押して良い段階ではない。行きなさいと焦らせないで。」と、言われていたそうです。そのアドバイスがあったからこそ、開き直って不登校の私と日々を楽しんでくれたのかと思います。また、母曰く、本当にいつか私は大人になれば人並みに社会生活を送れると信じて疑っていなかったそうです。私からすると、社会に出てまともに生活できるか不安でしかなかったので、その自信はどこからくるのだと言いたくもなりましたが…。

また、父も一度だけクリニックに着いて来てくれたことがあり、その際先生に同じことを言われたので、私に学校に行けと言ってくることはありませんでした。しかしその対応がありがたかった反面、当時父との会話は全くないに等しく、父は私を見ないようにしているとすら感じていました。私自身も、できるだけ父を避けていたことに間違いはありません。


私が全く学校に行かなかったのは3ヶ月。短いと思われる方もいらっしゃると思います。また、私の場合、いじめや人間関係ではなく、体調の悪化が不登校になった主な原因でした。そのため、体調さえ良くなれば復帰できて当然だと言われるかもしれません。

しかし、全く学校に行かなかったのは3ヶ月だけでしたが、不登校のボーダーラインとされる、年間で30日以上の欠席は、幼稚園時代から続いていました。そして、その状態はこれからもずっと続くものだとなんとなく自分で諦めてしまっていました。

しかし、この慢性的な行きしぶり状態も、もうしばらくするとなくなります。

次回は受験から高校決定について書きたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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